12月のことば

 

自然というは
もとより
しからしむるという
言葉なり

 明治から昭和初期にかけて活躍した俳人川端茅舎の句に、「大年の常にもがもな弥陀如来」というものがあります。「大
年」とは今で言う大晦日のことで「もがもな」は「―――であったらいいな」という願望を表す言葉です。直訳すれば、「大
晦日に”いつも阿弥陀さまのような心でありたい”と願いました」となるのでしょうか。
 茅舎は大晦日の夜に、除夜の鐘でも撞きにお寺に赴いたのでしょう。そして、ご本堂にお立ちになる阿弥陀如来さまを前
に自分の一年を振り返りました。
 そもそも除夜の鐘は、一年の間に積もり積もった悪業煩悩(自己中心的な心と、その心によって作ってきた様々な罪)を一つ
ずつ打ち消すために撞くものだという言い習わしがあります。冷気張りつめる境内。鐘を打ち鳴らす僧侶たちの白い息。暗闇
に響き渡る梵鐘の音…。自分はこの一年間、一体どれほどの罪を作ってきたのだろうか。数えきれないほど多くの欲心を起こ
し、それが自分の思い通りにいかなければ怒り、人を怨み、嫉み、傷つけ、何と浅ましい生き方であったのか。そして、どれ
ほどの尊いいのちを奪って自らのいのちとしてきたのか。生きるということは殺すということではないのか―――。
 百八つの鐘では到底打ち消すことができないほどの多くの煩悩を抱えた我が身。茅舎の目からは、一筋の涙がこぼれ落ちた
のかも知れません。しかしそんな茅舎の目の前には、阿弥陀さまが優しいまなざしでお立ちでした。
 ―――大丈夫だよ。あなたは今、自らの罪を意識し慚愧した、そのことがもうすでに、あなたは光に摂め取られ(救われ)て
いるという証拠なのです。なぜなら、あなたに自らの罪を知らせ慚愧させたのは、私の光なのですから。あなたがもし自らの
罪を悔いるのならば、私の心を真実だと仰ぎなさい。あらゆる者の歓びをわが歓びとし、あらゆる者の悲しみをわが悲しみと
し、あらゆるいのちの幸せを心から願い、その実現のために働き続ける。そんな私の心を真実だと仰ぎ、そのような者になり
たいと願いながら浄土に向かい生き続けていきなさい―――
 そのような阿弥陀さまの喚び声が、茅舎のいのちの中に響いてきたのでした。
 今年最後の言葉は「自然というは もとより しからしむるという 言葉なり」という親鸞さまのお手紙からの引用です。
「自然」とは阿弥陀さまのはたらきのことです。それは「もとよりしからしむ(私の意識を超えて、もともと、そう仕向けられ
ている)という言葉である」と教えてくださいました。
 罪の意識など持つはずのない私が慚愧の心を起こし、浄土(仏さまの心)を尊ぶはずのない私が、往生(仏さまになりたい)とい
うを願いを抱き、お念仏を称えようと思う心などなかった私の口から”南無阿弥陀仏”とお念仏がこぼれ出てくださるのは、私
の思いより先に、阿弥陀さまの願いに仕向けられていたからなのです。

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